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44岁的儿子和68岁的母亲的幸福的性交生活
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 変態母子キヨコとヨシオの鬼詳しいスーパー母子相姦年表


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お母さんの子宮への総射精回数

2,702発


お母さんの子宮への注入ザーメン量

5.404㍑



ザーメン量をカルピスの原液で表すと、470ml原液ペットボトル11本+αの量です!!

さらに!コップで表すと「コップ1杯」の基準が200mlなので、コップ27杯+αになります!(2014.4.12 現在)
さらにさらに!!お母さんの子宮をボクのザーメンでいっぱいに満たす
《ザーメン袋》状態は、子宮の平均容量が約5mlなので・・・
1,080回
さらにさらにさらに!!!日本人カップルの年間平均セックス回数が
48回という数字から、ボクとお母さんは何年分のセックスをしているか
というと・・・
56.29年分
1945年9月7日

1969年10月13日


2007年12月21日

44歳ボクと68歳お母さんのシアワセ☆母子相姦性活(*^-^)(ε^*)


ボクとお母さんは、2007年12月21日金曜日、初めて母子相姦で結ばれた。

ボクにとって、お母さんは《素人童貞》を捧げた相手であり、

お母さんにとって、ボクは人生で2人目の《男性経験》となった。

2012年12月21日金曜日、初めて母子相姦で結ばれてから5年。

ボクとお母さんの中出しセックスは2,500回――約5リットルを超え、

ボクは父親よりも多くお母さんを愛したことになり、

お母さんは夫よりも多く息子に愛されたことになった。


変態母子キヨコとヨシオの鬼詳しいスーパー母子相姦年表
















1945年
(昭和20年)
9月7日 0歳   変態母キヨコ誕生
キヨコ、東京都三鷹市に三男二女の長女(第二子)として生まれる。
お母さんは
まだまだ子供
1956年
(昭和31年)
10月頃 11歳 変態母キヨコの初潮
キヨコは初潮を迎え、体は大人の女になる。クラスメイトの中では早い方だったと言う。
1957年
(昭和32年)
8月頃 変態母キヨコの初オナニー
キヨコは幼馴染の話を聞きかじり、オナニーを覚える。
 
バラック建ての自宅は狭く、家族7人、同居人1人の中では常に他者の視線があり、キヨコのオナニーはもっぱら入浴の際のお風呂場の中だった。
銭湯通いが普通だったこの時代、バラックでありながら家風呂があったことが、キヨコには幸いした。
この時期のキヨコは幼い性欲の赴くまま、オナニーを頻繁にしていたと言う。
1959年
昭和34年
9月初旬 13歳 キヨコ、長兄のクラスメイトであった現在の夫(ヨシオの父親)と出会う。
 
長兄の夫は親友として、以後親密な付き合いが続くが、この頃はお互いにまったく眼中にない存在であったらしい。
1964年
昭和39年
6月中旬 18歳 高校卒業後の4月、市ヶ谷にある消火器メーカーの営業所に事務員として勤め始めたキヨコは偶然、営業所近くですでにゼネコンの社員として働いていた現在の夫(ヨシオの父親)と再会。何度か食事に誘われた後、恋人として付き合い始める。
























8月26日 変態母キヨコの処女喪失
キヨコは夫(ヨシオの父親)が暮らしていたゼネコンの独身寮の一室で初体験に至り、処女を夫に捧げる。
 
2人は結婚を前提とした付き合いとなり、以後はカップルらしくそれなりにセックスをするようになる。
但し、独身寮で結ばれたのは初めての時だけで、その後はホテルや旅館の一室でのこととなる。
カップル・新婚
子作りセックス
1968年
昭和43年
6月15日 22歳 キヨコは消火器メーカーを寿退社し、現在の夫(ヨシオの父親)と結婚。
神奈川県川崎市のゼネコン社宅に入り、専業主婦として家庭を支えることとなる。
1969年
昭和44年
10月13日 24歳 0歳 変態息子ヨシオの誕生
臨月を迎え、実家に戻っていたキヨコは三鷹の産院で第一子、長男のヨシオを出産する。
1972年
昭和47年
7月中旬 26歳 2歳 夫(ヨシオの父親)の海外単身赴任に併せ、川崎市の社宅から義父母(夫の父母)が暮らす福生市の家で、ヨシオともども同居を始める。 お母さん
セックスレス期間
1973年
昭和48年
4月初旬 27歳 3歳 キヨコは第二子、次男(ヨシオの弟)を出産する。
1974年
昭和49年
12月中旬 29歳 5歳 夫(ヨシオの父親)が海外単身赴任を終え、帰国。
 
若妻であったキヨコは、26歳~29歳までのこの2年半弱の間、妊婦であった時期を除いても1年半弱の間をセックスレスで過ごした。
 
若い体を持て余していたキヨコは、中高生の頃と同じようにこの時期、風呂場でオナニーを頻繁にしていたと言う。
但し昔と違ったのは、その風呂場には息子のヨシオがいる場合があったということ……。














1978年
昭和53年
8月初旬 32歳 8歳 一家は福生市の義父母(夫の父母)宅から、調布市のマンションに引っ越す。 子作り
淡白セックス
9月初旬 33歳 夫(ヨシオの父親)が再び海外単身赴任に出発。 お母さん
セックスレス期間
1979年
昭和54年
1月中旬 9歳 キヨコは第三子、三男(ヨシオの弟)を出産する。
 
海外単身赴任に出かけた夫(ヨシオの父親)は典型的な《仕事人間》で、キヨコは再び1981(昭和56)年12月、33歳~36歳までの3年半弱の間、妊婦であった期間を除いても3年弱の間、セックスレスで体を持て余すこととなった。
 
キヨコは夫のセックスについて、そのあまりに淡白な点に大いに不満を持っていた。
また前回の単身赴任時と違い、この時期のキヨコの周囲には、不貞の誘惑をする男が何人も存在していたと言う。
1980年
昭和55年
8月初旬 34歳 10歳 変態母キヨコの不貞未遂
性欲を持て余していたキヨコは、「体の関係だけなら」と同じマンションに暮らしていた次男(ヨシオの弟)の同級生の父親と、不倫セックスをすることを決意。
自宅マンションからそれほど遠くない甲州街道沿いのラブホテルまで赴くが、部屋に入り男がシャワーを浴びている隙に思い直し、不貞を犯すまで至らずホテルを出たと言う。
 
この時の父親(次男の同級生の)とは、この時以降は何事もなく、この時もキスすらしていないのだとキヨコは言う。
8月中旬 キヨコは一緒に入浴しているヨシオが、自分の体を見てオチンチンを勃起させていることに気づく。
9月下旬 35歳 キヨコはヨシオが、性的な意識に目覚めていると判断し、「これからはお母さんとは別に、1人で入浴しなさい」と言いつける。
10月初旬 変態息子ヨシオの初夢精、精通
キヨコと入浴できなくなったヨシオは、就寝中にキヨコの裸身を思い浮かべながらオチンチンを弄び、初めての夢精……精通して射精してしまう。




























10月中旬 11歳 変態息子ヨシオの初オナニー
夢精による射精を味わったヨシオはその快感が忘れられず、すでに翌日からキヨコの裸を思い浮かべながらオチンチンを弄び、自己流のオナニーをして射精の喜びを貪っていた。
 
射精の後始末まで頭の回らない幼いヨシオは、履いていたパンツをザーメン塗れにして洗濯に出すなどしていたし、ベッドの毛布もザーメンでベトベトに汚してしまっていた。
そのため、ヨシオが精通したことは瞬く間にキヨコの知るところになった。ヨシオが心だけでなく、体まで性に目覚めたことを知ったキヨコは、息子への躾について一瞬戸惑ったものの、男の子は為すままにさせておくのがいいだろうと、見て見ぬフリを通すことにし、夫(ヨシオの父親)にも相談することもなかった。
1981年
昭和56年
2月上旬頃 ヨシオはキヨコと母子相姦したいと思い始める
自己流でオナニーを覚えたヨシオは、クラスメイトから一般的なオナニーを仕方を教えてもらい、それと併せて初めて男と女が交わす《セックス》について教えてもらう。
 
《セックス》を知って、ヨシオは素直に「お母さん(キヨコ)とセックスしたいな」と思い、オナニーする際には母親とのセックス……いわゆる《母子相姦》を思い浮かべてするようになった。
12月上旬 36歳 12歳 夫(ヨシオの父親)が海外単身赴任を終え、帰国。
1982年
昭和57年
8月頃 夏休みを過ごしていたヨシオは、いつにも増して溢れ出すムラムラを抑え切れず、まさに猿のように朝から晩までオチンチンをシゴキ、オナニーして射精を繰り返していた。
その際のオカズとして、洗濯物として出されたキヨコの下着を使用することを思いつき、母親の下着をザーメン塗れにする快感に酔いしれる。
 
以後この《母親の下着への悪戯》はヨシオのオナニーの定番となり、途中それに気づいたキヨコが洗濯物の出し方を変え、ヨシオが一旦諦めて悪戯を中断し、息子の愚行が治まったことにホッとしてキヨコが洗濯物の出し方を元に戻すと、再びヨシオが悪戯を再開する、というようなイタチゴッコの中断を度々繰り返すつつ、初めて母子相姦で結ばれるまでの約25年間続けられることとなる。
夫婦セックス
倦怠期
1983年
昭和58年
3月中旬 37歳 13歳 一家は調布市のマンションから、神奈川県横浜市の集合住宅に引っ越す。
4月頃 キヨコは、ヨシオのクラスメイトの母親であるオカモトさん、ウエダさんと出会う。
 
オカモトさん、ウエダさんとは以来、現在まで付き合いの続く親友となった。
8月中旬 母キヨコ、息子ヨシオの大人チンポを見る
昼間から自室でオナニーに耽っていたヨシオは、洗濯物を持ってやって来たキヨコに恥ずかしい姿を見られてしまう。
慌ててヨシオは、「お腹が痛い」と言って誤魔化そうとしたが、キヨコは息子がオナニーしていたことを理解した。
 
当時、自分の下着に悪戯を繰り返すヨシオを叱ることなく、夫(ヨシオの父親)に相談することなく放置していたキヨコだが、何故そうしていたかは今でもわからないと言う。
ただこの時他者に相談したりせず、キヨコが独りで抱え込んだことが、のちのちの《母子相姦で結ばれる》という結論に繋がったであろうことは間違いない。
また、この時見たヨシオの勃起したオチンチンの様子を、キヨコは今でも鮮明に覚えており、精通後の息子の大人チンポの姿は、母親として大きな衝撃だったらしい。
1986年
昭和61年
4月初旬 40歳 16歳 夫(ヨシオの父親)が三度海外単身赴任に出発する。
 
1986年(昭和61年)4月~1988年(昭和63年)12月までの2年半、40歳~43歳のキヨコは三度セックスレスで過ごすこととなった。
 
しかしこの期間には、前回のような不貞を犯す決意をするようなことはなかったと言う。
お母さん
セックスレス期間
7月初旬 母キヨコは息子ヨシオの《母子相姦願望》を確信する
キヨコはヨシオの部屋を掃除し、大量の《母子相姦》関連のDVD・マンガ・官能小説を発見し、すべてを廃棄処分にした。
 
これまでもヨシオの部屋で《母子相姦》ものを見つけ処分してきたが、自分の下着への悪戯などを併せて考え、キヨコはこの頃にようやく息子が《母子相姦願望》を抱いていることを確信したと言う。




































1988年
昭和63年
8月下旬 42歳 18歳 変態母キヨコは母子相姦を受け入れる決意をした
夫(ヨシオの父親)が海外単身赴任に赴き、セックスレスの悶々とした日々の中でヨシオの《母子相姦願望》と母親としてどう向き合うかを考えたキヨコは、結論として「ヨシオが求めてきたなら、母子相姦させてあげよう」と決意を固めた。

とはいえ、キヨコの決意は、母親としての慈愛だけではなく、この時期に女として肉体を持て余していたことが大きかった。
 
キヨコはこの時期から、ヨシオに抱かれることを想像しながらオナニーに耽るようになった。キヨコは自分の下着をヨシオに悪戯されるたびに、放たれたザーメンの臭いを嗅ぎながら激しくオナニーしたと言う。キヨコがオナニーしていたのは、主に自分の寝室だった。この時から、一つ屋根の下で母子はお互いを抱く夢を見ながらオナニーをし合うようになった。
 
しかしこの決意は、あくまでヨシオが行動を起こした場合の受動的なものであり、キヨコ自身が行動を起こすものではなかった。
そのため母子は、この後も長く苦しむこととなった。母子のオナニーはこの後、19年もの間続いたのだ。
9月上旬 43歳 ヨシオはクラスメイトのオカモトに、自分の《母子相姦》願望を告白してしまう。
 
ヨシオに告白されたオカモトは、当時14歳(中学2年生)の妹に対する自らの《兄妹相姦》願望を告白した。
9月25日 叔母シズエ、変態母子を面罵する!
キヨコの祖母(ヨシオの曾祖母)の二十三回忌の法事の折、キヨコの妹であるシズエ(ヨシオの叔母)は、キヨコ・ヨシオの母子に対して、「アンタたち、母子で気持ち悪いのよ!」と面罵した。
 
のちにシズエが語ったところによれば、この時のキヨコとヨシオからは母子とは思えないくらい不穏な雰囲気が漂っており、お互いがお互いを見つめる視線はギラギラとギラついていて、忌まわしく怖いくらいだったと言う。
そしてシズエの頭の中には、すぐに《母子相姦》というワードが思い浮かんだらしい。
 
さらに今になって考えてみれば、当時はキヨコもヨシオもお互いに気づいてはいなかったが、お互いに《母子相姦したい》と思い合っており、そのただならない雰囲気を敏感にシズエが察知したのだろう。
12月初旬 19歳 夫(ヨシオの父親)が海外単身赴任を終え、帰国した。
 
この頃から、キヨコの夫婦の夜の営みが激減したのだと言う。それは、キヨコがヨシオとの《母子相姦セックス》を決意をしたことが大きく、意図して夫(ヨシオの父親)を遠ざけている部分があったらしい。
夫婦のセックスは2ヶ月に3回程度から、1ヶ月に1度程度に激減し、その分オナニーの頻度は増えたものの、キヨコから求めることは基本的になくなった。
夫婦セックス
倦怠期
1989年
平成元年
8月中旬 変態息子ヨシオは母親に触れながらオナニーした
キヨコの末弟(ヨシオの叔父)が新居を建て、夏休みを利用し家族5人揃って2泊で訪問した際、就寝時は家族で川の字で眠ることとなり、キヨコとヨシオは隣り合う布団に入った。
周囲が寝静まった頃、ヨシオはおもむろに隣で眠るキヨコの股間をパジャマの上から触り、布団の中でオナニーした。
 
この時、キヨコはヨシオが自分の股間に触ってオナニーを始めたことに気付いており、「いつ母子相姦を迫ってくるか」と、されるがままに待ち構えていたのだと言う。
 
しかしこの場で《母子相姦》が行なわれることには無理があり、当然ヨシオもそれ以上の行為に及ばなかった。家族もいる一室ではありえなかった。
変態息子ヨシオはオナニー姿を叔母に目撃される
翌日の夜、ヨシオは入浴の際に脱衣所でキヨコのパンティーを発見!(入浴時に脱いで、その場に忘れてしまっていた)ヨシオはそのパンティーを履いて、その場でオナニーを始めたが、用意を忘れたバスタオルを置きに入ってきた叔母(叔父の妻)に、その姿を見られてしまう。
 
しかし、叔母がそれを叔父(キヨコの末弟)に報告したかどうかのいついては、今もって不明。
8月下旬
以降

 
キヨコはこの末弟(ヨシオの叔父)の新居での一件について、自分の中で深く反省する部分があったと言う。
 
その反省点とは、ヨシオがそれなりの積極的な行動に出たにもかかわらず、キヨコ自身はそれに応える行動を示せなかったことであり、キヨコはこれ以降、ヨシオが行動に移る上で敷居をなるべく低くする努力として、ヨシオの前では、露出度の高い衣服を着るように心がけたり、また洗濯物を干す際、ヨシオの部屋のベランダに干すものは常に、ヨシオの下着とキヨコの下着をペアで重なり合うように専用の洗濯ハンガーに干し、ヨシオの目に触れさせ続けることで、無言のアピールとしていたらしい。
 
露出度の高い薄着は以後2年ほど、洗濯物については初めて母子相姦で結ばれるまで続いていたが、ヨシオは最後までキヨコの意図にまったく気付かないままであった。
1990年
平成2年
5月17日 44歳 20歳 変態息子ヨシオの筆おろし・童貞喪失
ヨシオは、母キヨコとの母子相姦での筆おろしを諦め、横浜市曙町のソープランドで少し遅い童貞喪失を迎えた。
 
しかしこの後、ヨシオはバブル期の大学生として、女性と付き合う機会を人並みに何度か得るが、セックスにまでは至らずに過ごすことになる。
やはりヨシオの中で《母親への思い》《母子相姦への憧れ》は通常の性欲以上に強く、無意識に最終的なブレーキをヨシオはかけていたらしい。
 
結局ヨシオはキヨコと母子相姦で結ばれるまで、風俗嬢以外に女性経験のない《素人童貞》の状態を堅持することとなった。
1992年
平成4年
6月頃 46歳 22歳 変態母キヨコは息子に触れながらオナニーした
この年の4月に社会人2年生になったヨシオは徹夜続きでその日、昼過ぎに数日振りに帰宅すると朦朧としたまま下着姿になり、キヨコの布団に潜り込んで眠ってしまった。
更年期の影響で体調が悪く、寝込んでいたキヨコは。ヨシオの振る舞いに驚いたものの、そのまま1つ布団で横になり、爆睡するヨシオのオチンチンをパンツの上から撫で触り、勃起してきたことに興奮してたまらずオナニーをしたと言う。
 
キヨコはこの時、12年ぶりくらいで息子のオチンチンを手で触れたが、勃起した状態で触れるも、成人してから触るのも初めてで、その大きさ、太さ、硬さに驚いたと言う。
 
キヨコにとっては、これまでで最大ともいえる積極的で大胆な行動だったが、眠っているヨシオに気づいてはもらえず、《母子相姦》に至ることはなかった。キヨコは母親として最大のチャンスを逃したのだった。
7月以降

 
キヨコもヨシオも、お互いに《母子相姦》を思い描いてのオナニーを続いていたが、一方でキヨコはこの時期辺りから、ヨシオが初体験を済ませたことを雰囲気から察し、なかなか《母子相姦》を求めてこないことにも焦れて、少しずつ諦めの気持ちを持ち始めていたと言う。
但し、キヨコの下着に対する悪戯は続いており、ヨシオの《母子相姦》への思いを推し量りつつ、キヨコのオナニーは数を減らしつつも、この後も続いていった。




































1996年
平成8年
夏頃 50歳 26歳 変態母キヨコ、夫婦の営みが途絶える
キヨコと夫(ヨシオの父親)の間で、夫婦の営みがなくなった。
 
もともとセックスに対して淡白だった夫(ヨシオの父親)の性欲の減退が最大の原因だったが、キヨコがヨシオとの《母子相姦》に気をとられたことやその後の更年期障害なども、一因になったとみられる。
夫婦の営み途絶
1999年
平成8年
11月頃 54歳 30歳 変態母キヨコの閉経…生理があがる
キヨコは重い更年期障害が治まると同時に、閉経(生理があがる)してしまった。
 
女性として一区切りついてしまったことで、キヨコの《母子相姦》を思い描いてのオナニーも、ここで再び大きく減ってしまった。
 
さらにこの頃からキヨコは、ヨシオが《母子相姦》を求めてこない上に、自分の年齢のことも考え、《母子相姦》に対する諦めだけではなく、焦りを募らせ始める。
 
それは一方のヨシオも同じで、《母子相姦したい》思いは消えないものの、一向に勇気を振り絞って告白することの出来ない自分の不甲斐なさ、自分自身と母キヨコの年齢を考え、だんだんと焦りを感じ始める。
お母さんの
閉経セックスレス
2005年
平成14年
4月頃 59歳 35歳 変態息子ヨシオがブログを開始
現在の『○○歳ボクと○○歳お母さんのシアワセ母子相姦性活』に続く『○○歳変態息子の母子相姦妄想日記』を、ヨシオが綴り始める。
 
なかなか《母子相姦》に踏み出せないヨシオは、自分の《母子相姦願望》を妄想として綴ることでガス抜きすると共に、web上にいるであろう《母子相姦経験者》に相談、後押しをお願いしようと考えての行動だった。




















2007年
平成16年
1月初旬 61歳 37歳
 
ヨシオは母子お互いの年齢を考え、「初めて母子相姦で結ばれるならば、今年がタイムリミット」…と、この年を《ラストチャンス》と位置づけ、決意を固めた。
3月頃 ヨシオは母子相姦の夢を叶える手始めとして、母キヨコの下着への悪戯の頻度を極端に増やし、ほぼ毎日のように母親の下着にザーメンを放ち始める。
 
当然、キヨコもその変化について早々に気づいたが、自身が《母子相姦》受け入れを決意してから19年余り…母子お互いの勇気のなさを実感しているため、しばらくは様子見と考えたのだと言う。
4月頃 さらにヨシオは、下着への悪戯以外にもオナニーする回数を大幅に増やし、母キヨコへのアピールを強めることにした。
部屋掃除をするキヨコを狙い、オナニーで射精したザーメンを後処理したテッシュを、無造作に部屋の有香に放置して、キヨコの目に確実に触れさせると共に拾って捨てさせるように仕向けた。
 
ヨシオのザーメンを拭ったテッシュを拾わされることになったキヨコは、事ここに至ってそれらが息子の《母子相姦》に対するアピールだと確信したと言う。
しかし「母親としてどう応えたらいいものか」…悩まずにはいられなかったらしい。
息子の《母子相姦願望》に応えたい思いは、キヨコの中にも十分にあったが、60歳を超えた自分の年齢を考えると、「本当にいいのか」という躊躇が大きく胸を覆っていたのだと言う。
母キヨコの反応を得られないヨシオは、徐々に苛立ちを抑えられなくなっていた。
これまでならば、ここで踏みとどまってしまっていたかもしれないが、《ラスト・チャンス》という思いが、さらに一歩ヨシオを踏み出させた。
ヨシオは母キヨコの下着への悪戯を発展させ、それまで洗濯機の中へ戻していたザーメンで汚した下着を、テッシュと同じように自室の床に無造作に放置するようにしたのだった。
 
これまでにない息子ヨシオの強烈なアピールに、キヨコは《母子相姦》への思いを大きく奮い立たせたと言う。
「このアピールにどう応えるのか」という迷いはあるものの、キヨコは確実にヨシオとの《母子相姦》が近づいてきているのだという予感に、胸が高鳴るのを感じたそうだ。
8月頃 自分の繰り返したかなり直接的なアピールに対し、母キヨコが怒るなどの反応を見せないことを、ヨシオは「良い傾向に違いない」と思うようになってきていた。
そこでさらに一押しと、ヨシオは洗濯物などを届けに母キヨコが自室へやって来るタイミングを見計らって、オナニーしている姿を見てもらおうと考えた。
決行すると計画は見事に成功し、ヨシオはキヨコに射精する瞬間の姿を見せつけ、見事に勃起したオチンチンとそのオチンチンから勢いよく吐き出される大量のザーメンを、母キヨコに目撃させることが出来た。
 
キヨコはこの時初めて、息子ヨシオの射精する姿を目の当たりにした。そして、改めてもう1度…人生で2度目の「母親として母子相姦を受入れてあげるかどうか」を考え、「ヨシオと母子相姦したい」と結論を出したと言う。
 
但しキヨコの中には、最後は「ヨシオが求めてくれたら」という19年余り前と同じ思いがあり、それこそがこれまでの最大の反省点であったことは理解しつつも、どうしても譲れない部分になっていたらしい。
 
とはいえ、このまま自分が何も応えなければ先に進まないことも、キヨコは重々承知しており、キヨコは下着への悪戯やザーメン・ティッシュ、射精姿を見せてくれた返答として、悪戯用の下着をヨシオのデスクの上に置いておいたり、直接手渡しで渡すようにした。
 
キヨコの返答に、ヨシオは喜びに身を振るわせんばかりになった。
ザーメンで汚されることを承知で、自分の下着を手渡しで渡してきた母キヨコの思いは、ヨシオには明らかな期がして、ついに《母子相姦》を直接求めようという決意をしたのだった。




























9月7日 62歳 変態母キヨコの62歳の誕生日
 
キヨコは自分の返答が、ヨシオの背中をしっかりと押すものと考えていたが、その後にヨシオの告白があった場合にどう応えるかには大いに迷いがあったと言う。
その迷いとはキヨコ自身の年齢、そして閉経して8年、セックスレス11年という自分の肉体についての不安だった。
変態息子ヨシオは母親に初めて「母子相姦したい」と告白
朝、他の家族が出勤するのを待って、ヨシオはリビングで初めて、母キヨコに「お母さんとセックスがしたい」と《母子相姦》したい気持ちを告白した。
 
19年余り待ち望んでいた息子からの《母子相姦》を求める告白…受け止めたキヨコは、感動に胸が熱くなったと言う。
しかし不安のあるキヨコは、「今すぐには受け入れられない」という結論に達していた。やはり年齢のこと、肉体的なことがキヨコを躊躇させており、どうしても受け入れ準備をする時間が欲しかったのだと言う。
変態母キヨコは初めて息子を手コキで射精させる
時間が欲しいキヨコは、ヨシオの告白を一旦拒否することにした。
「お母さんとそんなことをしたがるなら、母子の縁を切る」とまで言い、ヨシオを驚愕させた。
ただそうする一方で、急に《母子相姦》への思いを断ち切るのは難しいだろうからということで、「2度とそんなことを求めない代わりに」…ヨシオのオナニーをキヨコが手伝い、望む時に手で射精させてくれると約束をした。
 
この《手コキ》での時間稼ぎの間に、キヨコは2つのことをしようとしていた。
1つ目は《年齢的なこと》で、60を超えた世間一般から見れば《おばあさん》の自分で、本当にヨシオは良いのか思いの強さ、確かさを確認したかった。
また2つ目は《肉体的なこと》で、オナニーをするなどして《セカンド・ヴァージン状態》の肉体を解し、息子を受け入れられる状態になりたかったのだ。
 
一方のヨシオの衝撃は大きかった。それまでの母キヨコの素振りからすれば、当然《母子相姦》を受け入れてもらえると確信していたのだ。
泣きたい気分でキヨコの拒絶の言葉を聞いたが、27年分の思いを簡単に諦めきれるはずがない。
そこに飛び出したキヨコの《手コキ》の提案に、何を考えるでもなくヨシオは飛びつき、すがりついたのだった。
すぐその場のリビングでヨシオはズボンとパンツを下ろし、キヨコに《手コキ》をしてもらった。シコシコと息子のオチンチンをシゴいたキヨコ…ヨシオの射精を身に着けていたエプロンの前掛け部分で受け止め、拭った。
 
母キヨコの思惑で始まった《手コキ》はこの後、母子間の日課となっていく。
当初は恐る恐るキヨコに求めていたヨシオだったが、3日もするとそういう遠慮もなくなり、毎日何度も何度もヨシオは射精させてもらうようになり、キヨコも求められるだけ息子のザーメンを搾り出した。
10月13日 38歳 変態息子ヨシオの38歳の誕生日
初めての《手コキ》から5週間以上が経過し、日課となった《手コキ》はさらに日常化しており、この頃には毎朝必ず行なわれるものになっていた。
毎朝8時過ぎ、洗濯物を干すために2階のベランダへ上がってくるキヨコは、手早く干し終えるとヨシオの部屋へ…同居する弟はすでに出勤後の時間帯、夫(ヨシオの父親)は息子たちの部屋しかない2階には絶対に上がってきません。母子の《手コキ》は、この状態でヨシオの部屋で行なわれていました。
 
《手コキ》はすでに母子のものになっており、ヨシオが求める求めないも曖昧なものになっていました。見ようによっては、キヨコの方が求めているようにさえ見えるように…。
 
この《手コキ》の時間稼ぎを提案したキヨコは、自分自身も平行して肉体を解すためのオナニーを進めており、この頃には縮込まっていたオマンコも余裕を持って2本の指が入るようになり、マンコ汁でたっぷりと濡れ潤うようになってきていたと言う。
キヨコの肉体的な不安は解消し、準備は整いつつあった。
変態母キヨコは息子に洗体射精をプレゼント
ヨシオの38歳の誕生日を迎え、キヨコは特別なプレゼントをあげようと考えていた。
そのプレゼントとは、一緒に入浴してキヨコがヨシオの体を洗ってあげると共に、その間に思う存分何度も射精させてあげようというものだった。
同居する夫(ヨシオの父親)はこの日、午後3時から午後6時過ぎまでの3時間余り、町内会の会合のために出かけるので、その間隙に《母子入浴》しようというのだ。
 
キヨコのもう1つの不安である《年齢的なこと》についても、毎日の《手コキ》で下腹に貼り付くほどの勃起を見せるヨシオから、すでにすっかり解消されていた。
そのためキヨコは、この《母子入浴》する息子の誕生日を「初めて母子相姦で結ばれる日」と想定していたのだと言う。
 
キヨコは、自分自身が率先して裸になるとは思っていなかったが、体を洗われる側のヨシオは全裸であり、他に家族のいない家の風呂場という密室で、押し倒しさえすれば《母子相姦》に及べるこの状況であれば、ヨシオと結ばれるに違いないと思っていたと言う。
《母子入浴》は夫(ヨシオの父親)が出かけた直後、午後3時から始まった。全裸で入浴したヨシオに対し、キヨコは下着の上にTシャツとホットパンツの姿…ボディーソープを泡立て、掌でキヨコはヨシオの全身を隈なく洗い、洗体の最後にはオチンチンに至り、《手コキ》で気持ちよく射精させた。
入浴時間は2時間半に及び、その間にヨシオは3度射精した。
3度目の《手コキ》の際には、風呂場の湯気で濡れそぼったキヨコはTシャツとホッとパンツを脱ぎ、ブラジャーとパンティーだけの下着姿でヨシオのオチンチンを握った。
 
3度目の《手コキ》の際にキヨコが下着姿になったのは、思ったようにヨシオが踏み出してきてくれなかったため、思わずキヨコの方からアプローチをかけたものだったのだが、結局この時も《母子相姦》までは至らなかった。
 
一方のヨシオは、このアプローチに何も感じていなかったのかというとそういうわけではなく、確実に《母子相姦》が近づいているとは感じていた。
しかし、1度目の告白を拒絶されたというトラウマは大きく、どうしてもこの時は様子見になってしまったのだ。
但し、母キヨコが嫌がる素振りも見せず、それどころか最近では笑顔でオチンチンをシゴいてくれることから、「もしかすると」という思いは日に日に増している状態であり、自分の思うような結末に持っていけるのではないかと考えてはいたのだった。
11月12日 変態息子ヨシオは母親にオッパイを見せてもらう
ヨシオは朝の《手コキ》の際、思い切ってキヨコに「オッパイを見せて欲しい」と告げた。
キヨコは息子の願いに戸惑うことなく快諾し、この朝から《手コキ》の時にはヨシオは下半身裸、キヨコは上半身裸になってするようになった。
 
この時点でついに、ヨシオはははキヨコが《母子相姦》を受入れてくれるに違いないと確信を持つことができた。
 
一方のキヨコも、ヨシオの誕生日に発した自分のメッセージが、こういう形で返ってきたのだと思い、ヨシオからの2度目の告白が間近にあるだろうと思ったと言う。
 
キヨコとヨシオ、母子が共に自らの気持ちを固め、相手の気持ちを理解したと思えたこの日が、キヨコとヨシオの《母子相姦》へのターニングポイントと言えると思う。
この日、キヨコとヨシオの母子は《母子相姦》で結ばれる運命が決したのだった。


























11月30日 義母(夫の母、ヨシオの祖母)が風邪をひいて伏せていたため、キヨコは看病のために福生市の義母宅に赴くことになり、この機会に年末の大掃除の準備もしたいと、ヨシオを同行させることにした。
 
この日は義母(夫の母)と同居している義弟(夫の弟、ヨシオの叔父)は会社の慰安旅行に出かけて不在になっていた。
 
この福生の家は、もともとキヨコとヨシオの母子も1971年(昭和46年)~1977年(昭和52年)まで暮らしていた家であるため、長いこと年末の大掃除は彼家族が手伝い行なうことになっていた。
1日で出来る限りの大掃除を済ませ、義母(夫の母、ヨシオの祖母)も就寝した夜、ヨシオの誘いに応じる形で、キヨコは息子と一緒に入浴することになった。
 
ヨシオが成人してからは初めて…キヨコとヨシオ、母子がお互いに全裸になっての入浴だった。
変態母キヨコ、初めて息子にフェラチオ
母子でお互いの体を洗いっこしたところで、ヨシオは産まれて初めて母キヨコのオマンコを見せてもらった。
 
このオマンコを見せてもらえたことが、ヨシオに最後の一歩を踏み出す後押しした。
ヨシオ、は母キヨコの前で仁王立ちになり、「お母さん、口でして」と勃起したオチンチンを突き出して《フェラチオ》を強請った。
キヨコはわずかに戸惑いを見せたものの、ヨシオのいうままにパクリとオチンチンを咥え、《フェラチオ》をし始めた。
 
ヨシオの《フェラチオ》の要求に、キヨコが戸惑いを見せたのには理由があった。
キヨコの62年の人生のうち、男性経験はセックスに淡白な夫(ヨシオの父親)たった1人で、夫との性生活の中では《フェラチオ》などした経験がなかったのだ。
とはいえ、62歳ともなれば《フェラチオ》がどんなものかという知識くらいはあった。
キヨコはこの時、《人生初のフェラチオ》を息子のオチンチンで味わったのだった。
変態息子ヨシオは母親に再び「母子相姦したい」と告白
フェラチオヲしてくれる母キヨコを見下ろしながら、ヨシオはついに2度目の《母子相姦》を求める告白した。
「やっぱりお母さんとセックスがしたい」「ボクとセックスしてよ、お母さん」とヨシオが告げると、キヨコはオチンチンを咥えたままヨシオを見上げ、小さく何度も頷いた。
《母子相姦》の求めるヨシオに、キヨコもついに《母子相姦》を受け入れる意志を伝えたのだ。
 
ヨシオはこの時、確信を1つ1つ積み上げ、2度目の告白のタイミングを計っていた。
フェラチオはその最後の段階だった…オチンチンを咥えたその状況では、もうどう転ぼうとも《母子相姦》を受け入れる答え以外はないと、ヨシオは考えていたのだ。
変態母子、初めてのシックスナイン
ヨシオはキヨコにフェラチオさせたまま、スノコの上に押し倒し、自分は体を180度逆にして母の股間に顔を埋めた。
目の前で開き、濡れそぼった母キヨコのオマンコに舌を這わせ味わった。母子初めての《シックスナイン》だった。
 
《シックスナイン》はキヨコとヨシオ、それぞれにとっても初体験だった。
セックスに淡白な相手との男性経験しかないキヨコにとってはフェラチオだけではなく、《クンニリングス》を受けること自体も初めての経験でした。
一方、《素人童貞》のヨシオも風俗嬢相手に《クンニ》をした経験はなく、母キヨコのオマンコを舐めるのが初めての経験だったのだ。
下手くそな《クンニ》と《フェラ》による《シックスナイン》で昂ぶったヨシオは、再び体を180度入れ替え、母キヨコの両腿を抱えてにじり寄った。
そこでキヨコが、「ちょっと待って」とストップをかけた。
 
《母子相姦》すること決めたキヨコだったが、初めて結ばれるが眠っているとはいえ義母(夫の母、ヨシオの祖母)のすぐ間近であることに、極めて大きな抵抗があったと言う。
嫁姑として大小さまざまな確執を持つ義母の傍では、《初めて》の持つ輝きが穢れると感じたらしい。
 
その場で《母子相姦》まで至るつもりでいたヨシオは、大いに不満を持ったが、キヨコが強く拒否を続けたため「母子相姦は後日」ということを受け入れざるを得なかった。
《母子相姦》のセックスを諦めたヨシオは、再び体勢を入れ替えて《シックスナイン》に戻った。
 
この《シックスナイン》で、ヨシオは初めて口内射精し、キヨコは初めてザーメンを《ゴックン》した。
 
この翌日から、母子の朝の日課は《手コキ》から《シックスナイン》に替わった。
今になって振り返れば、他の家族のいる自宅の一室でお互いに全裸になって《シックスナイン》に及ぶことは、万が一にも目撃される恐れもあったと思うのだが、キヨコとヨシオもまったく念頭にはなく、《いつ》《どこ》で初めての《母子相姦》セックスをするかに気をとられていた。
12月初旬
 
この頃から、キヨコとヨシオの間での最大の懸案事項は《いつどこで母子相姦するか》ということになり、他の家族の目耳を気にしながら、事あるごとにコソコソと相談が続けられた。
一時期は、ホテルなどで無難にその瞬間を迎えることが有力な案となりかけたが、やはり《初めての母子相姦》ということもあって、キヨコとヨシオ…母子にとって最も思い出に残る形が模索された。
 
年末に差し掛かり、他の家族のいる自宅で結ばれるのはなかなか困難な状況が予想され、また「越年は考えられない」とヨシオが強固に反対したため、案として再び大きくクローズアップされたのが、2度目の《母子相姦》告白をした義母(夫の母、ヨシオの祖母)宅で結ばれるプランだった。
大掃除でもう1度年末に出向く機会があること、また年始には毎年義母を横浜に呼び寄せて過ごすこともあり、義弟(夫の弟、ヨシオの叔父)の存在はあるが、昼間は家が空いて如何様にも使うことが出来る。
何よりもキヨコとヨシオにとって、母子として生活をしたことのある家で、幼い頃のさまざまな思い出がたくさん詰まった場所であることが理由だった。
 
それでもキヨコは難色を示していたが、義弟(夫の弟、ヨシオの叔父)が「年末年始に海外旅行へ行きたいので、義母(夫の母、ヨシオの祖母)を早めにそちらに預けたい」という連絡を受けたことで、無人の機会がある義母宅での《初めての母子相姦》が、最も実現性・現実性が高いとキヨコもヨシオも判断し、晴れて《初めての母子相姦》をする場所は、キヨコが25歳~31歳まで、ヨシオが1歳~7歳まで6年間暮らした福生市の義母宅ということに決まった。
 
義母(夫の母、ヨシオの祖母)が横浜の自宅に連れて来られるのが12月19日、義弟(夫の弟、ヨシオの叔父)が海外(タイ・バンコク)へ出発するのが12月20日ということで、キヨコとヨシオは12月21日金曜日に義母宅で《初めての母子相姦》で結ばれる、ということになった。
12月6日 《母子相姦》で結ばれることを控え、《初めて》をより思い出深いものするために、キヨコとヨシオはこの日の朝の日課を終えると、2週間の禁欲生活に入った。
 
この禁欲生活について、ヨシオは正真正銘射精を禁じた生活だったが、キヨコの方はというと、もオナニーは続け、《セカンド・ヴァージン状態》のオマンコを揉み解すことに努めていた。


























12月21日 眠れない夜を過ごしたキヨコは、早朝5時に火照った体を抱えて起床…体の疼きを鎮めるため、洗面所兼脱衣所の暗がりで声を殺してオナニーしたと言う。
一方のヨシオも、キヨコとほぼ同じ午前5時ごろに目を覚まし、先走りの透明の粘液《カウパー氏腺液》でグショグショになったスウェットパンツとブリーフを履き替えて起き出した。
キヨコとヨシオは、午前7時半過ぎに相次いで自宅を出た。
 
この日、キヨコは夫(ヨシオの父親)に対して出かける理由を、「ママさんコーラス・グループの忘年会」と嘘をついて出かけた。
ヨシオは平日のため、有給休暇を取得して福生へ向かった
 
横浜市営地下鉄ブルーライン、JR東海道本線、JR横浜線、JR八高線と乗り継ぎ、3時間以上かけて午前10時45分過ぎに、キヨコとヨシオは義母(夫の母、ヨシオの祖母)宅に到着した。
義母(夫の母、ヨシオの祖母)宅に到着したキヨコとヨシオはそそくさと室内へ入り、まずは居間の中央を空けるためにソファーなどを移動させ、2階から来客用の寝具を一式下ろし、空いた居間中央のスペースに敷いた。
その後、ヨシオは義母宅の通りを隔てた東側にあるスーパーマーケットへ昼食の弁当を買いに行き、残ったキヨコは湯船に湯を張り、入浴の準備をした。
 
キヨコとヨシオが、周囲の目を気にしてそそくさと義母宅に入ったのは、近所にまだ2人の知り合いが住んでいるからだった。
特に東隣に隣接するNさん、西隣のTさん、北側向かいのUさんとは顔を合わせたくなかったのだ。
 
キヨコとヨシオが、《母子相姦》する場所として選んだのは、義母宅1階の居間だった。
これは他の部屋が長いこと義母や義弟の寝室として使われていること、他に比べて居間はキヨコとヨシオが暮らしていた頃の面影を残しているからだった。
ヨシオが弁当を買って戻ると、午前11時15分頃から早めの昼食となった。かなり大急ぎで20分ほどで食べ終わると、キヨコとヨシオは母子揃って一緒に入浴した。
風呂からあがれば、ついに《初めての母子相姦》だった。
 
キヨコとヨシオ、母子はこの入浴の段になって急激に緊張に包まれた。膝は笑い、全身の震えが止まらなくなっていたことを2人は共に、はっきりと記憶していると言う。
変態母子キヨコとヨシオ、初めての母子相姦セックス
風呂からあがると、キヨコとヨシオはお互いに手に手を取って居間へと戻った。居間の中央に敷かれた布団の上に立つと、ヨシオがキヨコを押し倒して、愛撫もなくいきなり脚を割ってにじり寄った。
ヨシオは挿入に手間取り、そして挿入できないまま射精してしまった。
 
自ら極度に緊張していたと言うキヨコだが、ヨシオの緊張はその比ではなかったと振り返る。この時のヨシオは顔面蒼白な上、表情も凍りつき、ブルブルと震え続けていたと言う。キヨコの股間に割って入った時も、膝が笑って何度もふらついていた。オチンチンを支える手元も、狙いを定められないほどに震えていたことを、キヨコははっきりと覚えている。
 
挿入に失敗し、射精してしまったヨシオは、あまりの不甲斐なさ、恥ずかしさにショックを受け、その場で悄然となって子供のように泣き出してしまった。
27年に思い続けた《母子相姦》が叶おうとした瞬間での失敗は、ヨシオにとってあまりに大きなものだった。
 
ヨシオの落胆ぶりに、キヨコは逆に緊張が解けたとそうだ。《母子相姦》を成就させるには、「自分が母親としてしっかりしなければ」と思えたのだと言う。
これまでどちらかというと従属的だったキヨコは、この時から積極的な姿勢に転じた。
キヨコは泣きじゃくるヨシオをなだめ、入浴を促した。
射精で汚れたお互いの体を洗った後、湯船に浸かったキヨコは、ヨシオにオッパイを吸わせてやり、そしてお互いの舌を激しく絡め合うディープなキスをした。
 
キヨコの積極性が功を奏し、入浴中にヨシオの緊張は瞬く間に解かれていったと言う。
 
キヨコとヨシオの母子は、度々順番を間違えて行動していたりする。
すでに《シックスナイン》もし、《母子相姦》も目前だったというのに、この時母子がしたキスはファースト・キスだったし、ヨシオがキヨコのオッパイを吸ったのも初めてだった。
変態母子キヨコとヨシオ、本当の中出し母子相姦セックス
風呂場から居間の布団の上に戻ったキヨコとヨシオは、1度目とは異なり、体を寄せ合うとキスをし、お互いの乳首を吸い合い、クンニリングス、フェラチオと愛撫を交わして昂ぶり合った。
そしてヨシオは、キヨコの導きを受けながら、今度こそついに挿入した。キヨコとヨシオは《母子相姦》した……時に午後12時45分のことだった。
 
母子がしっかりと繋がり合った瞬間、キヨコもヨシオもお互いに感激の涙を流して泣き合った。
ヨシオは27年、キヨコは19年待ち望んでいた瞬間だったのだから、当然のことだろう。
しっかりとお互いの体を抱き締め合い、1つに繋がり合っていることをキヨコとヨシオは実感し、時間をかけて確かめ合った。
 
ヨシオは数回のピストン運動で絶頂に達し、射精した。
ヨシオは母の胎内に膣内射精した後、キヨコは息子に膣内射精された後、再び涙を流して泣くことになった。
 
正真正銘《母子相姦》で結ばれたこの瞬間まで、キヨコもヨシオも「母子相姦はこの日、この時、1度きり」と思い込んでいたと言う。
母子お互いに確認し合ったことではないが、《母子相姦》するとはそれほど重いものだという理解だったのだ。
しかし1度の経験が、すべてをなし崩しにした。キヨコもヨシオも改めて確認し合うこともなく、再び風呂場で汗を流して戻ると、《母子相姦》のセックスを再開した。
3度目の《母子相姦》セックスを、キヨコもヨシオも母子は笑顔で楽しんだ。昔暮らした家の一室ということもあり、セックスの最中に昔話に花が咲くことすらあった。
中出しで3度目の《母子相姦》を終えたのが、午後2時半頃だった。義母(夫の母、ヨシオの祖母)宅から横浜の自宅まで約3時間弱かかることを考えると、そろそろタイム・リミットと言えた。
キヨコとヨシオは、慌てて最後の《母子相姦》に臨んだ。
 
中出し、膣内射精で最後の《母子相姦》を終えた時、回数は別としてキヨコもヨシオも「これで最後」と思っていたのでした。
 
風呂で汗を流し、片付けを終えて義母宅を出たのは、午後4時過ぎのことだった。乗り継ぎの待ち時間などはスムーズだったものの、横浜の自宅にたどり着いたのは午後7時をわずかに回った頃だった。
キヨコとヨシオにとって、《人生でいちばん特別な日》は終わった。
帰ってきた母子2人を待っていたのは日常だった。夫(ヨシオの父親)がおり、2人の息子(ヨシオの弟)がおり、義母(夫の母、ヨシオの祖母)がいた。
夫(ヨシオの父親)はキヨコの「帰りが遅かった」と怒っており、キヨコは慌てて夕食の支度に取り掛からずを得ず、一気に日常へ引き戻された。
母子相姦
セックス
12月22日
 
日常に正常に戻ったつもりであったキヨコとヨシオだったが、落ち着いて寝床に入ると沸々と湧き起こる感情があったと言う。
それはキヨコもヨシオも同じ感情で、「これで終わりでいいのか」「ようやく手に入れたものを、手放していいのか」という感情だった。
 
これは感情だけにとどまらず、肉体的な昂ぶりも鎮まらなくなって、キヨコのオマンコは濡れ潤い続け、ヨシオのオチンチンは勃起し続けていたと言う。
変態母子キヨコとヨシオ、家族の目耳のある家で母子相姦
家族が寝静まった未明、ヨシオの部屋のドアをノックしたのはキヨコだった。無言でキヨコを迎え入れたヨシオは、そのまま母をベッドに押し倒した。
母子は声を発することなく、そそくさと全裸になって初めてのバック・スタイルで繋がり合い、《母子相姦》セックスをした。
 
横浜の自宅には、キヨコとヨシオの他に4人の家族がいた。
1階東側の和室では夫(ヨシオの父親)が眠っており、キヨコはここから抜け出してヨシオの部屋へやって来た。
2階には3つの部屋が並んでおり、いちばん西端の部屋がヨシオの部屋、隣接する部屋には2人の息子たち(ヨシオの弟)が、いちばん東端の和室には義母(夫の母、ヨシオの祖母)が眠っていた。
 
キヨコは声が漏れぬよう、セックスの間、必死に毛布の端を噛み締めていたと言うが、セックスに及んだヨシオの部屋のベッドは、ヨシオ自身が組み立てたシングル・ベッドのため建て付けが悪く、セックスの間中ずっとギシギシと軋み続け、キヨコもヨシオも気が気ではなかったらしい。
膣内射精でセックスを終え、キヨコとヨシオはそこでようやく言葉を交わし、今後も続けられる限り《母子相姦》を続けようと確認し合ったのだった。
12月29日 変態母子キヨコとヨシオの初めてのラブホ・セックス
22日の未明には、逸る気持ちで家での《母子相姦》を強行したものの、その後はやはり家族の目耳があるため難しく、キヨコとヨシオは悶々と過ごしていた。
そしてヨシオが年末年始の休暇に入ったこの日、正月用の買出しということで出かけた2人は、最寄りのJR駅の駅前で手早く買い物を済ませると、そのままラブホテルへ直行して《母子相姦》セックスに興じた。
 
この時に使ったラブホテル「HOTEL BYPASS」は、最寄りのJR駅からは少し遠く、国道1号線沿いの戸塚警察署近くにあるのだが、ご近所など知り合いの目の届かないことから、キヨコとヨシオは事あるごとに便利に使っている。
































2008年
平成20年
1月1日 変態母子キヨコとヨシオ、自宅リビングで姫初め
夫(ヨシオの父親)が義母(夫の母、ヨシオの祖母)を連れて、ヨシオ以外の2人の息子たち(ヨシオの弟)と鎌倉・鶴岡八幡宮へ初詣に出かけたので、その隙にキヨコとヨシオは自宅リビングで《姫初め》の《母子相姦》セックスをした。
 
キヨコもヨシオも下半身だけ裸になり、リビングのフローリングの床の上でセックスした。
時刻は、午前10時半頃~午後12時頃の真昼間で、レース地のカーテンを引いただけのリビングは、冬の陽光が射し込んでいてとても明るい中でのセックスになった。
母子相姦
変態貪欲セックス
2月20日 ヨシオは、母キヨコとの《母子相姦》を満喫するため、独り暮らしをすることとし、この日慌しく引っ越した。
 
ヨシオが独り暮らしを始めたマンションは、キヨコの居る自宅と、最寄りのJR駅を挟んだ反対側…自宅は駅西口から徒歩ならば15分(普段は横浜市営地下鉄ブルーラインを使う)。ヨシオのマンションは東口から徒歩8分。
 
このヨシオの独り暮らしに際して、キヨコは家族を交えて1つの提案をした。それが独り暮らしで滞りがちになるであろう家事を、キヨコが手伝いに行くというもの。
 
夫(ヨシオの父親)は、「いい歳した男が母親に甘えることではないだろう」と難色を示したが、キヨコがそれを押し切って、週2回…水曜日と土曜日にキヨコがヨシオのマンションを訪れることになった。
水曜日は夕方から翌日の朝までの1泊、土曜日は朝午前10時頃から夕方までの半日。
2月23日 《母子相姦》を満喫するために、マンションを借りて独り暮らしを始めたヨシオ…初めて迎えた土曜日に、キヨコは予定通り午前10時過ぎにやって来て、家事を済ませて昼食を食べると、午後1時~午後5時までの4時間たっぷりと《母子相姦》セックスに耽り切った。
 
マンションは県道沿いに建った築20年以上の4階建てで、ヨシオの部屋は3階の303号室だった。
両隣の302号室には独身の40代半ばの男性が、304号室には30代前半の若い夫婦が暮らしており、引っ越しの挨拶にはキヨコとヨシオの母子が揃って出向いていた。
 
303号室の表札には、『母○○キヨコ 子○○ヨシオ』とキヨコとヨシオの名前が、あえて続柄も明記して記してあった。
2月27日 独り暮らしを始めたヨシオ…初めて迎えた水曜日のお泊り《母子相姦》
5月3日

5月6日
ゴールデンウィークにヨシオは、3泊4日の岐阜県・下呂への温泉旅行に母キヨコを連れ出した。
 
当然《母子相姦》を満喫するためのセックス旅行なのだが、ヨシオは《母の日のプレゼント》と理由をつけて、夫(ヨシオの父親)からアッサリOKをもらった。
変態母子キヨコとヨシオ、峡谷で初めての母子青姦
温泉に入る以外は、部屋にこもって《母子相姦》セックスに明け暮れていたキヨコとヨシオだが、3日目の昼間に散策に出かけた峡谷でムラムラとなり、人気が少ない雑木林の中に入り、生まれて初めて《青姦》で《母子相姦》セックスした。
 
この《青姦》の経験が、のちのキヨコとヨシオの性癖にも影響を与えたらしく、羞恥・露出的な傾向のスリルを味わうようになった。
 
またこの時は通常の部屋に泊まったが、温泉旅館Rには露天風呂付きの離れがあることを知り、その場で翌年のゴールデン・ウィークの予約をした。
6月30日 変態母キヨコが母子相姦をカミング・アウトした
ヨシオとの《母子相姦》の関係を結んだキヨコは、その関係について約25年来の親友であるオカモトさん、ウエダさんの2人にカミング・アウトした。
 
キヨコがカミング・アウトという暴挙に出たのは、禁忌を犯してしまった後ろめたさとその一方で感じる幸福感を、すべて押し隠していなければならない孤独感に、どうしても堪えられなくなったからだと言う。
 
オカモトさんとウエダさんは、もともとヨシオのクラスメイトの母親として付き合い始めた2人で、中学生時代からヨシオのことをよく知っている。
 
キヨコから《母子相姦》のことを聞かされたオカモトさんとウエダさんは、「理解も応援も出来ないが、そういう愛情があるということはわかった」と言ってくれたと言う。
7月26日

7月28日
ヨシオの高校時代のクラスメイトでキヨコとも知り合いの友人から招待を受け、彼の結婚披露宴に母子揃って出席するため飛騨高山へ。
披露宴の行なわれる「高山グリーンホテル」のダブルの部屋に泊まったキヨコとヨシオは、披露宴前日の夜は《母子相姦》三昧に過ごした。
披露宴後は、キヨコもヨシオも二次会は遠慮し、ホテルの部屋へ戻ったヨシオは、黒留め袖姿のキヨコを立ちバックで犯しまくった。
8月16日 キヨコがオカモトさん、ウエダさんに《母子相姦》をカミング・アウトしとことを、ヨシオが聞かされたのは8月に入ってからのこと。
この日、キヨコに呼び出されて、ヨシオが指定のラブホテルに出向くと、部屋にはキヨコの他にオカモトさんとウエダさんの2人も、ヨシオを待っていた。
 
場所は、横浜駅近くのラブホテル「HOTEL RIVIERA」。予備校の近くに建つラブホテルで、キヨコもヨシオも利用するのは初めてのホテル。
この場所を見つけ、オカモトさんとウエダさんを呼んだのもキヨコだった。
変態母子キヨコとヨシオは初めて人前で母子相姦した
キヨコは《母子相姦》しているところを見てもらいたくて、オカモトさんとウエダさんを呼んだのだと、ヨシオに告げた。
オカモトさんもウエダさんも納得して来ていると言うので、ヨシオは2人の前で《母子相姦》することを了承した。
 
キヨコがカミング・アウトからさらに進んで、オカモトさんとウエダさんの前でセックスするという大胆な決意をしたのには、親友にはどうしても理解して欲しいと思ったからだと言う。
カミング・アウトした際の「理解も応援も出来ないが、そういう愛情があるということはわかった」という言葉からは、とても理解してもらえたとは思えなかったからだった。
 
ヨシオが、オカモトさんとウエダさんの前でする《母子相姦》を受け入れたのは、《青姦》で得た羞恥・露出的な傾向の性癖のせいで、中学生時代から自分のことを知る2人の前でセックス出来ることに、興奮を覚えただけだった。
 
一方のオカモトさんとウエダさんも、キヨコの真剣な思いとは裏腹に、《母子相姦》という禁忌を目の当たりにしてみたいという下世話な興味を抱いただけだったと言う。
全裸で睦み合うキヨコとヨシオの傍らで、オカモトさんとウエダさんは衣服は着たまま、乱れることなく母子の行為を眺めていた。
しかしこのことが、のちにオカモトさんに大きな影響を与えることになった。
ヨシオが膣内射精して果てた後、オカモトさんとウエダさんは横たわるキヨコの手を取って、口々に「ありがとう」「よかったわよ」と告げた。
10月11日 63歳 変態母子キヨコとヨシオは2人きりで結婚式を挙げた
《母子相姦》の関係を結んで、初めて迎えるキヨコ63歳、ヨシオ39歳の誕生日プレゼントとして、母子は揃っての《計画》として結婚式を挙げた。
 
挙式は那須高原のチャペルMで行なった。ここを選んだのは身元などのチェックがなく、キヨコとヨシオなどの母子でも料金さえ払えば、挙式が可能だったからだ。
      ※有名な会場のため名前を秘す
 
この挙式の際、祭壇の前で2ショットの記念写真を撮った…キヨコはウェディングドレス、ヨシオは真っ白なタキシード姿。
またキヨコとヨシオは、《婚姻届》にそれぞれ記入して記念とした。
 
《挙式写真》と《婚姻届》は、1980年8月に伊豆大島で撮った《母子写真》と共に額装し、マンションの壁に飾った…現在では母子の寝室に置かれたアルバムに収められている。
12月6日 39歳 母子相姦1周年を前に、記念のペアリングを藤沢の小田急百貨店で購入した。
 
ペアリングの内側に刻印を入れてもらった。
入っているのは《M&S Anniv.》の文字…つまり《Mom & Son Anniversary.》。
12月21日 変態母子キヨコとヨシオは1周年記念をセックスで祝う
母子相姦1周年を、キヨコとヨシオは母子水入らずで、初めて結ばれた思い出の場所・義母(夫の母、ヨシオの祖母)の家でセックスして祝った。
 
毎年、年末年始を横浜の自宅で過ごす義母(夫の母、ヨシオの祖母)だが、この年はキヨコがさまざまに都合を並べ立て、キヨコとヨシオにとっての《母子相姦記念日》である21日に来ることに強引に決定させた。
 
義母と同居している義弟(夫の弟、ヨシオの叔父)に車を出させて、横浜へ送り届けさせる一方で、入れ替わるようにキヨコとヨシオは《大掃除》と称して義母宅へ入り、掃除もそこそこに1年前と同じく、居間の中央に布団を敷いてセックスした。
12月31日

1月1日
変態母子キヨコとヨシオは初めての年越し・年跨ぎセックス
夫(ヨシオの父親)と義母(夫の母、ヨシオの祖母)に2人の息子(ヨシオの弟たち)が、鎌倉・鶴岡八幡宮へ初詣に出かけたが、キヨコとヨシオは家で、紅白歌合戦など見ながら年を越すことに…。






























2009年
平成21年
『ゆく年くる年』が始まった頃、ヨシオが求める形で母子は全裸になり、自宅居間のフローリングの床の上で、除夜の鐘を音を聞きながら《母子相姦》セックスをして年越しした。 母子充実の
変態セックス
4月29日 叔母シズエ、変態母子の母子相姦の関係に気づいた
この夕方、横浜まで遊びに出てきたという妹シズエにキヨコは呼び出され、「ヨシオと《母子相姦》しているのではないか?」と詰問された。
最初は否定していたキヨコだが、次第に言葉に窮するようになってシズエに確信を持たれ、最後には親戚縁者に告げ口するようなことはしないが、「姉妹の縁を切る」旨と「ヨシオとも叔母甥の縁は切る」と告げられてしまった。
 
20年以上前からキヨコとヨシオの関係に妖しさと危うさを感じていたシズエは、ずっと母子の様子を観察していたのだと言う。
 
ヨシオの弟たちと連絡を取り合った折に、ヨシオが急に実家を出て独り暮らしを始めたこと、そのマンションへキヨコが週2回も通っており、うち1日は泊まってきていると聞いて、《母子相姦》への疑いを深めていたところ、前年の9月に法事で母子に会った時に、これまでとは明らかに違う雰囲気を感じ取り、シズエは姉と甥が関係を持ったと確信したらしい。
シズエはキヨコと別れた後、ヨシオにも電話して《母子相姦》の関係に気づいたことを告げ、キヨコに告げたのと同様の内容を伝えたのだった。
5月2日

5月6日
前年のゴールデンウィークと同様、岐阜・下呂温泉の温泉旅館Rへ赴き、《母の日》のプレゼントということで母子旅行…1年前から予約していた露天風呂付きの離れに宿泊した。
 
この離れの南側には、12畳ほどもある大きなウッドデッキがあって、このウッドデッキの西側に離れ専用の露天風呂が付いている。
離れの建物は高台にあって、周囲から中を覗かれることはなく、また生垣が巡っていて目隠しもしっかりしていた。
 
キヨコとヨシオは青空の下、鳥の声を聞きながら、このウッドデッキでセックスすることにハマり、以後この旅館を利用する大きな目的になった。
9月5日 変態息子ヨシオの変態母キヨコ64歳の誕生日プレゼント
7日に64歳の誕生日を迎えるキヨコのために、ヨシオはプレゼントとして写真館で母子の2ショット写真を撮影。
写真を受け取ったその足で、今度は貸しスタジオに向かい、レンタル機材を使用しての個人撮影で、オールヌードの母子2ショット写真を撮った。
 
この時撮影した2枚の2ショット写真は額装し、《挙式写真》と《婚姻届》、《43歳と9歳の時の母子写真》と共にマンションの壁に飾られた…現在では母子の寝室に置かれたアルバムに収められている。
10月11日 64歳 変態母キヨコの変態息子ヨシオ40歳の誕生日プレゼント
13日に40歳の誕生日を迎えるヨシオへのプレゼントとして、キヨコは31~35歳(ヨシオは8~11歳)までを暮らした調布市のマンションを訪れ、その近隣でセックスすることを考えた…現地に着いてから、ヨシオの提案でマンション屋上のエレベーター室上、高い壁が取り囲む給水塔脇で、野外セックスをすることになった。
野外セックスを終えると、キヨコとヨシオはお互いに体液で汚れた体のまま、当時からマンションに暮らしている知り合いのMさん宅を訪問して、旧交をあたためた。
 
この屋上の給水塔脇のスペースは、子供時代のヨシオをはじめマンションの子供たちの遊び場だったところだった。
 
また、この時訪ねたMさんこそが、キヨコが一時不貞を犯そうとした次男(ヨシオの弟)の同級生のお宅であり、奥さんとはずっと付き合いが続いていたのだった。
変態母子初めてのアナルセックスでキヨコ処女喪失
Mさん宅を出ると、キヨコとヨシオは甲州街道沿いのラブホテルへ向かい、初めての《アナルセックス》で結ばれた。
 
母子で《アナルセックス》で結ばれることを望んだのは、キヨコの方だった。
キヨコは、ヨシオが自分に《素人童貞》を捧げてくれたことを、心の底から感激していたので、そのお返しに自分の《お尻の処女》はヨシオに捧げたいと考えていたのだった。
 
但し、キヨコもヨシオも《アナルセックス》は初めてであったため、ラブホ内でローションを購入して使用したものの、挿入するまでは悪戦苦闘した。
また、ここで経験した《アナルセックス》自体も、結局はそれほどの魅力を感じられず、この後キヨコとヨシオの間で頻繁に《アナルセックス》が行なわれることはなかった。
12月19日

12月21日
40歳 年末年始を前に、この時期からヨシオはマンションから実家へ戻って、こちらから会社へ通うようにし、《母子相姦2周年》を実家で祝うことに…。
 
この年、この時期に義母(夫の母、ヨシオの祖母)はまだ横浜に来ておらず、ヨシオの他の息子たち(ヨシオの弟たち)もおらず、気にしなければならない家族の目は夫(ヨシオの父親)のものだけであった。
 
キヨコとヨシオはこの3日間、夫(ヨシオの父親)の目だけを気にしつつ、実家のいたるところで《母子相姦》を楽しんだ。
この3日間でセックスした場所は…玄関内廊下、居間(リビング)、キッチン、トイレ、元ヨシオの部屋。
12月31日

1月1日
前年に引き続き、他の家族たちが初詣で出かけた後、キヨコとヨシオは先ほどまで家族が集っていたリビングで《母子相姦》…。
2010年
平成22年
オマンコとオチンチンで1つに繋がり合いながら、除夜の鐘の音を聞き、新年を迎えた。
4月上旬 変態息子ヨシオが変態母の子宮に放ったザーメンが…
ヨシオの概算ではあるが、ヨシオが《母子相姦》でキヨコの子宮に放ったザーメンの量が、1リットルを超えた。
5月1日

5月5日
ゴールデンウィークの《母の日のプレゼント》と称した母親孝行の温泉旅行も3年目。
行きつけとなった温泉旅館Rの離れに宿泊し、ウッドデッキでの《青姦》セックスを母子で満喫した。
9月2日 1つ屋根の下で変態母子の寝室が完成
70歳を目前にした夫(ヨシオの父親)は、老いていく夫婦の生活を心配し、ヨシオに実家へ戻り同居してくれるよう願っていた。
そのためヨシオはこの日、マンションを引き払って実家へ戻ってきて、再びキヨコとヨシオの《母子相姦》は夫のいる実家の1つ屋根の下で行なわれることになった。
 
これまでキヨコは夫(ヨシオの父親)と1階東側、リビング隣の和室を夫婦の寝室として使っていたが、ヨシオが実家を出て夫婦だけになってから、1階の和室は夫だけが使用し、キヨコは2階の東側にある和室(夫の眠る和室の直上)を寝室として使用するようになっていた。
 
実家に戻ったヨシオは、元のヨシオの部屋ではなく、キヨコの寝室のすぐ隣の洋室を寝室として使用することとした。
 
ヨシオは実家に戻るに際して、新たにキングサイズのダブルベッドを購入し、寝室の中央に鎮座させた。
キヨコの寝室とヨシオの寝室は壁ではなく、襖で仕切られており、実質的には1つの部屋として使用できることから、キヨコとヨシオはこっそり寝室を1つにすることを計画し、2つの部屋それぞれに内鍵もつけた。
9月7日 65歳 変態母子キヨコとヨシオ、再び公開母子相姦セックス
母子相姦の関係を結んで3度目に迎えたキヨコの65歳の誕生日…ヨシオはキヨコが《母子相姦》をカミングアウトしたキヨコの友人オカモトさん、ウエダさんを招いて誕生日会を催し、2人の見ている前で再び《母子相姦》セックスを披露した。
 
前回は下世話な興味以外、《母子相姦》への肯定的な理解などはなかったオカモトさんとウエダさん。
この時も同様、下世話な興味だけでヨシオの誘いに応えた2人だったが、性的には貪欲な素振りを見せ、《母子相姦》するキヨコとヨシオの傍らで下着姿となり、オナニーに興じていた。
10月16日 41歳 変態息子ヨシオが母子相姦をカミング・アウトした
ヨシオは自ら誕生日会を催し、自宅へ高校時代の友人であるオカモトとナカジマを呼んで、キヨコとの《母子相姦》の関係をカミング・アウト…2人の前で《母子相姦》セックスを披露した。
 
オカモトとナカジマはヨシオの高校1年生時のクラスメイトで、高校3年間を通じてよく遊んだ友人であり、たびたびヨシオの家にも訪れているため、キヨコとも顔見知りであった。
 
この友人のオカモトは、キヨコの友人のオカモトさん(ヨシオの中学時代のクラスメイトの母親)とは別で、親戚関係もない。
 
オカモトは高校3年生の時に、ヨシオの《母子相姦願望》を聞いており、自身も4歳年下の妹に対する《兄妹相姦願望》を告白していた。
ヨシオはカミング・アウトの際、オカモトの《兄妹相姦願望》を忘れており、のちの急展開に驚かされることとなる。
11月24日 変態母子キヨコとヨシオに刺激されて…
10月にヨシオとキヨコの《母子相姦》セックスを見せつけられた、ヨシオの高校時代の友人オカモトは、高校時代から抱いていた実妹に対する《兄妹相姦願望》を再燃させてしまった。
オカモトは、すでに結婚して子供も1人いる35歳の妹を横浜駅近くに呼び出し、強引にラブホテルへ連れ込むと、無理矢理中出し《兄妹相姦》セックスしてしまった。
 
オカモトにとっては、20数年来の宿願を果たしたわけだったが、実妹からは怨嗟の声を浴びせられ、慌ててヨシオへ連絡してきたのだった。
2011年
平成23年
2月19日 変態母子キヨコとヨシオ、初めての見せ合いっこセックス
実妹に《獣》扱いされて困り果てていたオカモトは、「家族間セックスなど珍しいことではない」と妹を説得したいため、ヨシオとキヨコに妹と会って欲しいと懇願…ヨシオも「友人のために」とキヨコを説得し、母子でオカモトの妹と会うことにした。
ラブホテルの一室で顔を合わせると、ヨシオとキヨコはオカモト兄妹の前で《母子相姦》セックスを披露。
 
ヨシオとキヨコはオカモトの妹に対し、自分たちの《母子相姦》について「たまたま血が繋がっていただけ」と言い、その一方で「血の繋がりがあるからこそ、深く愛し合える」とも言った。
 
ヨシオとキヨコと話しているうちに、オカモトの妹は《兄妹相姦》自体には怒っておらず、兄が自分の気持ちの確認もそこそこに無理矢理関係に及んだことに怒っていることを告白。
 
オカモトの実妹は、「子供の頃から誰よりもお兄ちゃんのことが好き」と胸を張って言った。
お互いの思いを確認し合えたオカモト兄妹は、全裸になってダブルベッドのヨシオとキヨコの隣に横たわった…ヨシオとキヨコ母子とオカモト兄妹は、1つベッドの上で《母子相姦》《兄妹相姦》のセックスをした。
 
オカモト兄妹の《兄妹相姦》の関係は、3年以上経った今も続いている。
3月11日

3月12日
変態母子の東日本大震災当日
東北を大地震と大津波が襲った当日、都内で震災にあったヨシオは、連絡がまったく取れなくなった自宅を心配して、多くの帰宅困難者たちと徒歩で横浜へ向かい、帰宅した。
 
午後8時に新橋を発ったヨシオは、午前3時頃にようやく横浜駅周辺に到着。
動き出していた横浜市営地下鉄に飛び乗り、午前3時半過ぎに自宅へたどり着いた。
キヨコと夫(ヨシオの父親)は、ヨシオの身を案じて寝ずに待っていたが、無事帰宅したのを期に、安心して床に就いた。
 
キヨコとヨシオは何度となく続く余震の中、しっかりと布団の中で抱き合いながら朝を迎えた。不安と怯えのため、この日セックスすることはなかった。
4月14日

6月3日
歓送迎会の飲み会帰り、14日木曜日の深夜、ヨシオは最寄りのJR駅近辺の国道1号沿いで乗用車と接触事故に遭い、西Y国際病院に入院…左腕、左脚を骨折…約1ヵ月半の4人部屋での入院生活となった。
 
キヨコは毎日のようにヨシオの病室に通い、献身的に看病した。
4人部屋の他の患者の目をカーテンで遮るなどして、フェラチオで射精させるなどもした。
6月4日

7月24日
利き腕が使えない上、松葉杖が使えず(腕、脚ともに同じ左のため)移動がままならないため、ヨシオは退隠してからも、自宅療養で仕事を休むことになった。
 
自宅でもキヨコは、ヨシオの看病に勤しんだが、もともと自宅での寝室は母子で共にしていたので、6月29日夜には騎乗位での《母子相姦》セックスが再開された。
8月下旬 変態息子ヨシオが変態母の子宮に放ったザーメンが…
ヨシオの概算ではあるが、ヨシオが《母子相姦》でキヨコの子宮に放ったザーメンの量が、3リットルを超えた。




































2012年
平成24年
正月3が日 66歳 42歳 年末年始はキヨコもヨシオも、盛んに《母子相姦》セックスをしたのだが、前年に三男(ヨシオの弟)が結婚して嫁の目が《家族の目》として増えたため、年末は母子のセックスは控えられた。
元旦の夕方に三男夫婦が嫁の実家へ向かったのを期に、次男(ヨシオの弟)も帰宅し、家族の目が夫(ヨシオの父親)と義母(夫の母、ヨシオの祖母)の2人だけになったことで、キヨコとヨシオは家族の目を盗んでの《母子相姦》セックスを再開させた。
変態母子
円熟セックス
1月4日 変態母子キヨコとヨシオ、チャットで実況セックス
夫(ヨシオの父親)が町内会の新年会へ出かけ、義弟(夫の弟、ヨシオの叔父)が迎えに来て義母(夫の母、ヨシオの祖母)が福生に帰ったため、午後1時~8時までの7時間、2人きりになったキヨコとヨシオはチャットで実況中継しながら、《母子相姦》セックスを楽しんだ。
1月5日

1月11日
ヨシオが仕事でヨーロッパへ出張し不在。《母子相姦》の関係を結んでから最長期間、母子は離れ離れで過ごした。
2月7日 変態母キヨコ、息子の呼び方を変える
キヨコは2人きりで過ごす時に限り、ヨシオの呼び方を「ヨシオちゃん」に変えた。
 
キヨコは、ヨシオが0~1歳の間はそう呼んでいたのだが、姪が生まれたのを期に、義父(夫の父、ヨシオの祖父)の言いつけで呼び方を変更した。
孫の中で最年長のヨシオについて、周囲にも自覚を促す意味を込めた言いつけだったが、キヨコはずっと不満だったと言う。
5月3日

5月6日
前年ヨシオが交通事故にあい、訪れることが出来なかったゴールデンウィークの母親孝行の温泉旅行。
行きつけとなった温泉旅館Rの離れに宿泊し、2年ぶりにウッドデッキでの《青姦》セックスを母子で満喫した。
8月28日 キヨコとヨシオは、ハワイのビーチでの露出セックスを想定し、外国人が多くしているように剃毛して、つるつるマンコとつるつるチンコに変身した。
9月3日

9月6日
変態母子キヨコとヨシオ、母子相姦ハワイ旅行
キヨコとヨシオは、2泊4日のハワイ旅行へ出かけた。
出国日の3日は羽田を午後10時過ぎに発って、同日昼にホノルル空港に到着…ホテルは空港からタクシーで45分ほどのアウラニにあるリゾートホテルだった。
 
会社の売り上げアップに貢献したことで表彰を受けたヨシオは、このハワイ・ペア旅行を贈呈された。
 
アウラニは日本人の少ないビーチ・リゾート。
宿泊したホテルは、世界的なエンターテインメント企業が経営するウォーター・アクティビティー充実の施設で、宿泊客の9割方が海外からの親子連れ。
キヨコとヨシオがホテルに着いたのは午後1時…チェックインまで1時間ほどあったので、2人はホテル内のレストランで昼食を済ませてから部屋へ入った。
ただ、国際線のフライト直後にセックスする元気はなく、キヨコとヨシオはひと休みした後にビーチでひと泳ぎ…ゆっくり日光浴して体を休めた後で、夕食をいただいてから部屋でハワイ初の母子相姦セックス!!
 
宿泊したホテルの部屋は6階建ての4階にあるツインルームで、ベッドはそれぞれがキングサイズの豪華版。窓からはプライベート・ビーチが望めるオーシャン・ビュー…窓外にある広いベランダには、2人で寝られるサイズのデッキチェアが置かれていた。
2日目の4日は、ゆっくりと朝9時過ぎに目覚めたキヨコとヨシオ…ベッドで《母子相姦》セックスした後、ボクとお母さんは、ベッドメイキングと入れ替わるように部屋を出てブランチを食べ、ホテル内のウォーターアクティビティで少し遊んで午後1時頃に部屋に戻り、ベランダに置かれていたデッキチェアで、この日2度目の母子相姦セックス!…夜は再びベッドでゆったりとセックスを楽んだ。
 
ハワイに発つ前は、プライベート・ビーチでの青姦などを想像していたが、親子連れの目が常にあって断念した。
最終日の5日は、チェックアウトが11時だったので、キヨコとヨシオは午前中に広いバスルームで大きな鏡に映る自分たちを眺めながら、立ちバックで中出し《母子相姦》セックスした。/td>
10月13日 67歳 43歳 変態息子ヨシオ、変態母キヨコから特別なプレゼントを…
この年のヨシオの誕生日は土曜日だったものの、ヨシオが土日共に仕事のために特別なことはしないことになっていたが、キヨコは特別なプレゼントとして《母子手帳》をヨシオに渡した。
 
当然この《母子手帳》は、キヨコがヨシオを産んだ時の物…《母子手帳》には、出産直後からその後のさまざまな経過期間ごとのキヨコとヨシオの検診記録が記載されていた。そして検診記録の記載ページの後ろには《予備欄》という白紙のページがあった。
 
キヨコは《母子手帳》の《予備欄》に、自筆のコメントを書き込み、現在の自分を表す写真を貼り付けて、特別なプレゼントとした。
 
《キヨコの自筆コメント》
2012年10月13日、ヨシオ43歳の誕生日
あんなに可愛らしかった赤ちゃんが、とっても素敵な男性になりました。今では毎晩、セックスして私を喜ばせてくれる孝行息子です。
ヨシオ、お母さんの息子として生まれてくれてありがとう。これからもいっぱい、お母さんを愛してちょうだいね。
お母さんのオマンコは、ずっとヨシオのものだからね。
 
《キヨコが貼り付けた写真》
写真はヨシオが撮影した…被写体のキヨコはベッドの端に腰かけ、レンズに笑顔を向けている。
白いブラウスの上にダークブラウンのセーターを着たキヨコの下半身は裸で、片膝を立てて開かれた股間には右手が伸び、人差し指と中指を使ってオマンコが広げられ、溢れ出したヨシオのザーメンがはっきりと映っている。
12月14日

12月19日
キヨコとヨシオは、《母子相姦記念日》に中出し《母子相姦》2500回を達成するため、禁欲生活に入った。
12月20日

12月21日
変態母子キヨコとヨシオ、5回目の《母子相姦記念日》
この年、義母(夫の母、ヨシオの祖母)宅の大掃除を夫が買って出て、20日昼から21日夕方まで不在となったため、キヨコとヨシオはシティーホテルの一室で《母子相姦記念日》を迎えることにした。
 
予約を入れて利用したシティーホテルは、JR桜木町駅西口近くの野毛川沿いに建つホテル…多くの大型ホテルが建つみなとみらい地区側に比べて穴場になっている。
しっかりとした格式もあり、ホテルマンの教育も行き届いているが、土地柄ラブホテルとしての利用も多い。
仕事を終えて駆けつけたヨシオは、ロビーでキヨコと合流してチェックイン。部屋で一旦落ち着いてから、ホテル最上階際のフレンチ・レストランで母子は夕食をとった。夕食後はヨシオは一旦部屋に戻り、キヨコはホテル内のエステティック・サロンへ赴き、全身のボディー・ケアを行なった。
中出し母子相姦2500回、注入ザーメン5リットル達成
2500回にちなんで25時(午前1時)に達成すべく、キヨコとヨシオは21日の午前0時半過ぎからセックスを始めた。
 
キヨコはこの瞬間のため、自分で選んだ純白のランジェリーを用意し、白のロンググローブを着け、頭には白レースのベールを被った姿でベッドサイドにたった。
2013年
平成25年
3月9日 変態母キヨコの友人オカモトさんが悩んでいた
この日、オカモトさんがキヨコを自宅に訪ねてきて、キヨコとヨシオの3人で昼食をとった。
当初はとりとめもない話をしていたが、食後にダイニングからリビングに移り、コーヒーを飲んでいると、オカモトさんの方から話の話題を《母子相姦》に移した。
 
オカモトさんは盛んに、キヨコとヨシオの《母子相姦》のことを尋ね、得意そうに答えるキヨコに対して、「母子の寝室を見たい」と懇願した。
キヨコがオカモトさんを2階の母子の寝室へ案内した。
2人の寝室を見ると、オカモトさんは自分の心の中でわだかまりつつある《母子相姦願望》について、母子に語った。
 
オカモトさんは盛んに、自分の思いは《母子相姦願望》ではないと否定し、自分の息子と孫が嫁の家族に盗られてしまったような状況に苛立ってしまっているだけだと言った。
 
しかしその苛立ちの解消法は、息子との《母子相姦》を想像しながらするオナニーだと言う。
「孫もいるし、もう○○(息子の名前)は戻ってこないけれど、その○○を嫁から取り戻して、セックスすることを想像すると、胸がスーッとするのよね」
そのシュチエーションはいつも、嫁の見ている前で《母子相姦》し、メロメロになった息子がいつまでも中出しするというものだった。
4月26日

4月29日
毎年恒例の《母の日》プレゼント、ゴールデンウィークの下呂温泉旅行。行きつけとなった温泉旅館Rの離れに宿泊し、ウッドデッキでの《青姦》セックスを母子で満喫した。
 
すでに挨拶状が届くほど馴染みになった温泉旅館R…当然、旅館側もキヨコとヨシオが母子であることを承知している。
キヨコとヨシオが女将や中居たちの前で、母子として振る舞い、母子の思い出話を披露したためで、Rでは仲の良い母子、優しい母親と母親孝行の息子で通っていた。
 
これまでキヨコとヨシオはセックス三昧で過ごしつつも、旅館にはそれを知られないように細心の注意を払ってきた。
しかし今回は、明らかなセックスの痕跡を旅館の者の目に触れさせ、彼等彼女等の視線の色が変わったことを感じて、キヨコもヨシオもゾクゾク興奮していた。
5月19日 変態母子キヨコとヨシオ、他の母子相姦変態母子たちと会う
《母子相姦》を考察するノンフィクション企画のための取材を、キヨコとヨシオは受けた。
 
取材を依頼してきたのは、雑誌やwebで記事を書いているIという女性ライターで、偶然にもヨシオとは同い年だった。
取材場所は、東京都千代田区のDホテルの一室…キヨコもヨシオも「随分、立派なホテルを用意してくれた」と、その点だけでもIのことを信用した。
取材はキヨコとヨシオの他、2組の母子がグループでIの質問に答えていく形式で行なわれた。質問にはかなり踏み込んだきわどい内容のものも多く、3組の母子はお互いのことをよく知ることとなった。
 
取材対象となった母子は3組…お互いに《母子相姦》という禁忌について秘密を明かすということで、各母子同士パスポートと戸籍謄本の写しを示し合って身分を明らかにした。
キヨコとヨシオは最年長の母子で、他に45歳と19歳のカズエ・トシユキ母子、58歳と26歳のマサコ・ノリフミ母子がいた。
 
他の2組の母子は、キヨコとヨシオが「母子が互いに高齢になってから結ばれた」こと、「未だに離婚せず夫(ヨシオの父親)と同居している」こと、「母子共に経験人数は極めて少ない」ことに対し一様に驚き、感心を示した。
 
取材をしたライターIの記事は、今のところ発表されていない。
6月末 キヨコ、左脚に慢性的な痺れが生じ、横浜市立大付属病院で診察を受けるも原因は不明のため、身体的な負担軽減を考えて《母子相姦》セックスを週2回、水曜日と日曜日に限定した。
12月21日

12月23日
68歳 44歳 3連休となった《母子相姦記念日》は、普段から見ればかなり無理をして、ラブホテル、自宅で3日間合計6回の中出し《母子相姦》セックスをした。
 
 
     
 
 
 
お母さん.com
キヨコとヨシオ…変態母子・相姦母子のプロフィール
【名 前】 清子 キヨコ 義雄 ヨシオ
【性別・続柄】 牝/母親 牡/息子(長男)
【生年月日】 1945(昭和20)年9月7日 1969(昭和44)年10月13日
【星座・干支・血液型】 乙女座/酉年/B型 天秤座/酉年/A型
【職 業】 専業主婦 会社員
【相手の呼び方】 義雄ちゃん お母さん
【似ている芸能人】 阿木燿子 嶋 大輔
【身長・体重】 169センチ/?キロ 183センチ/95キロ
【3サイズ】 バスト93/ウェスト82/ヒップ98  
【オチンチンの長さ】   平常時:13センチ/勃起時:16センチ
【自慢なこと】 肌の白さ 案外、遅漏なところ
【好きな体位】 正常位/セックス中にヨシオの顔がよく見えるから 正常位/セックス中にお母さんの顔が見られるから
【相手の体で好きなトコ】 仮性包茎が可愛い、大きなオチンチン 大きくて垂れたオッパイや余分なお肉の付いたお腹
【初体験の相手】 現在の夫(ヨシオの父親)/ヨシオは2人目 ソープ嬢/素人童貞はお母さんに捧げた
【アナルセックス】 63歳になって、ヨシオに処女を奪ってもらいました。 母子相姦1周年の記念に、お母さんにさせてもらったのが初めて。
【母子相姦の魅力】 息子に愛してもらえることの満足感。母親としては最高の幸福。 最高の一体感。ボクを産んでくれたお母さんだからこその安らぎ。
【今までで最も興奮した母子相姦】 眠っている義母(夫の母親)のそばでした時/td> 人通りの多い県道脇の駐車場で青姦した時
【絶対に出来ないけれどしてみたい母子相姦】 夫の前でする母子相姦 渋谷のスクランブル交差点でする母子相姦
【生まれ変わったら母子相姦は…】 する。但し義雄以外の息子は産まず、息子は義雄だけ。その上でもっと早くに結ばれて、ヨシオの赤ちゃんを2人産みたい する。その場合は正真正銘の童貞を捧げて、そのことをうんとお母さんに誉めてもらいたい。その後は当然、母子で子作りする
熟女チャンネル


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